前回は、男女の人間関係の違いで話が終わってしまいました。脱線が多すぎますね。
人間関係は「愛情の交換機能」という話を前回しました。ちなみに実体ではなく、機能とみなしています。
なぜ他者と関わらなければいけないのか。それは人間が本来持っている対象希求(対人希求)から生まれるものだからです。人間には志向性があり、いつもどこかにベクトルを向けています。多くの人は他者ですが、一部の人はものに向けています。さらに一部の人は自己(自分)に向けています。なぜ人はどこかにベクトルを向けるのか。それは愛情をもらうためです。
そこで本題ですが、当院は「人間関係のストレスによるこころの不調に特化する」と謳っています。
まず人間関係のストレスとは、どのような事態でしょうか。人間関係は本来愛情を交換し合うものです。しかし他者が愛情を与えるだけのこころの余裕がないとき、もしくは他者が愛情を与えるほどにこころが発達していないときは、この他者から愛情は得られません。逆にあなたの愛情を一方的に求めるような事態が想定されます。あなたは一方的に愛情を与えますが、その他者からは直接的な愛情はもらえません。ほかの他者から愛情をもらう必要があります。ここでほかの他者から愛情をもらえれば、特に問題は起きません。ストレスになるのは、誰からも愛情をもらえないときです。専門用語で欲求不満(願望充足されないこと)といいます。一般的な欲求不満とは少し意味が違います。一般的な意味だと、おそらく性愛が充たされないときに使うと思います。ここでは愛情が充たされないときに、欲求不満と使います。※愛情と性愛の違いはまた別の機会に取り上げます。
愛情がもらえずに欲求不満になると、人はどうするでしょうか。愛情の代替物でこころを満たそうとします。愛情の代替物で有名なのは、前回も出てきた「お金」です。例えば、お金を貯める(貯金)もしくはお金を使ってものを買う(消費)などです。貯金がひどくなっても「吝嗇家だね」、「ケチな人」と陰口を言われるくらいです。一方、消費がひどくなると不要なものを買うようになり、買った瞬間は満たされますが長くは続きません。いわゆる「買い物依存症」に近い状態かもしれません。依存症全般に言えることですが、愛情の代替物=依存対象と見ています。例えば、アルコールや薬物、ギャンブル、ゲームなどは依存対象として有名ですが、どれも愛情の代替物にすぎません。愛情の代替物は、空想的な愛情であって、現実的な愛情ではありません。そのため、欲求不満が充足されることはなく、ずっとこころは満たされないままになっています。
ここでは、人間関係のストレス=愛情の欲求不満と考えました。それでは、なぜ愛情の欲求不満がこころの不調に繋がるのでしょうか。こころは愛情を栄養にして動いています。こころは愛情が枯渇してくると、自らの生命エネルギーで自足するようになります。生命エネルギーを貯めるために、暴飲暴食したり、長時間過眠したり、何もせずじっと横になっていたりなど、人によってさまざまな方法を使います。しかしながら、生命エネルギーはこころにとって栄養そのものではなく、炭水化物?みたいなものです。栄養が含まれていないわけではないですが、栄養の絶対量は不足してきます。こころは徐々に動きが悪くなり、生命エネルギーは無意識の領域にある「不安」に流れ込むようになり、「不安」を育て始めます。「不安」が増強してくると、生命エネルギー自体が吸い取られてしまい、エネルギー不足の状態になります。この段階では、こころも身体もエネルギー不足になっています。思考や感情もかなり鈍くなっているはずです。この状態をこころの不調といってもよいでしょう。
この流れを図式化すると、人間関係のストレス=愛情の欲求不満 →生命エネルギーが「不安」を増強させる →「不安」が膨らんでエネルギー不足 →こころの不調
こころが不調になったら、まずは「不安」を小さくして生命エネルギーを貯める必要があります。「不安」が小さくなってエネルギーが貯まってきたら、次に愛情をどこからもらうのかを検討しなければなりません。おそらく休息や休養で生命エネルギーは貯まると思います。一時的に「不安」も小さくなるでしょう。しかし人間関係のストレスが少しでもかかると、エネルギーは再び「不安」に流れることが多いのではないでしょうか。そのため、第三者のわたしたちを利用する必要が出てきてしまうのです。特に愛情の検討は一人では難しい作業です。わたしたちを活用してください。
おおまかに人間関係・ストレス・不安を説明しました。書き足りないことも多いので、また機会を改めます。