子育てのなかで気づくのは、他者(親や家族、先生、周りの大人など)が子どもを怒らなくなったという事態です。
幼稚園で先生が子どもを怒っている(もしくは叱っている)場面はあまり見ないし、ましてや習い事で先生が子どもを叱っている場面はまったく見ません。もちろん、厳しいとあらかじめ周知されているような習い事は別ですが。公共の場で騒ぎまくっている子どもを、親は怒らなくなりました。周りの大人も親とトラブルになりたくないので、代わりに子どもを怒ることはなくなりました。
一般的に、「怒る」は自分の感情を子どもにぶつけることで、「叱る」は子どもをより良い方向に導こうと注意やアドバイスをすることで、感情的なものと論理的なものと分けていわれるように思います。いわんとすることは分かるのですが、感情の伴わない「叱る」は、子どもに有用な事態なのでしょうか。もしくは感情的な「怒る」は、子どもに有害な事態なのでしょうか。感情的な「怒る」には、人生の経験則が含まれていませんか。冷静ではないとはいえ、子どものこころの発達にまったく寄与しないといえますか。
おそらくですが、あまりにも親が子どもを自分の感情に任せて「怒る」のが多すぎたことへの反動のように思います。感情と論理(感情と思考でもいいですが)を明確にすることで、親の「怒る」を戒めようとしたのでしょう。その結果として、親は感情的に「怒る」事態は少なくなりました。親が論理的に「叱る」事態は増えたのでしょう。それは本当に子どもに有用な事態をもたらしたのでしょうか。いわゆるZ世代の人たちは、きちんとした大人になれたのでしょうか。もしかしたら学術的な印象論にすぎないのではないかと思ってしまうのです。仕事柄いろいろな人に会ってきて思うことは、日本では論理的な人は少ない、ほとんどの人は感情的に動いているという臨床的事実です。もちろん経験バイアスが含まれているでしょう。「怒る」と「叱る」という単純な二項対立は、研究レベルと臨床レベルの乖離を感じてしまいます。本当に子どもを「怒る」ことなく「叱る」ことで、子どもはこころの発達と社会性を獲得できるのでしょうか。
背景には、おそらく日本が約30年前に子どもの権利条約を批准したことは一因でしょう。こども家庭庁のHPやユニセフのHPで、この条約の概略が記載してあります。もちろん子どもの権利条約を批判するつもりはまったくありません。2023年にはこども基本法が制定されました。こども基本法プロジェクトのHPに詳しく記載されています。
少し気になるのは、子どもの権利条約のなかで「…18歳未満の子どもを『権利をもつ主体』と位置づけ、大人と同様、ひとりの人間としての人権を認める…」という箇所でしょうか。海外の子どもの状況と日本の子どもの状況はしっかりと分けて考えるべきだと思います。日本では「権利には必ず義務が伴う」という文言は、上の世代の人たちは好んで使うように思います。文脈としては、労働や納税に関する人生訓のように思います。ただし、子どもの権利条約での「権利」は、いわゆる人権概念です。なかなか日本では理解されづらい概念だと思います。刑務所で勤めていたので余計に感じます。例えば「他者の人権を侵害したものに人権はない」と誤って理解している人もいます。西洋の概念を葛藤なく、そのまま採用しているので、いわゆる日本国民の人権概念に対するアクチュアリティが希薄であるように思います。
内容が冗長になってきました。話を戻すと、他者(親や家族、先生、周りの大人など)が子どもを怒らないことは、本当に子どもの将来に有益なのでしょうか。この問題はまた取り上げます。