「ものは心で見る。肝心なことは目では見えない」 (サンテグジュペリ⦅池澤夏樹訳⦆:Le Petit Prince⦅星の王子さま⦆.集英社)

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発達障害と愛着障害

最近は子育てのため、2歳~6歳くらいの子どもをプライベートで見る機会が増えました。どうしても「こころの発達」の視点から、ほかのお子さんを見てしまうことに気づいてしまいます。ボウルビィのアタッチメント(愛着)三部作の原書と邦訳をどちらも本棚の肥やしにしていることにも同時に気づきましたが。

発達障害と愛着障害の違いについて、分かりやすいサイトを見つけたので挙げておきます。これは米澤先生の講演をまとめたもので、認知・行動の問題と感情の問題に両者の差異があることを主張しており、かなり明確な論考だと思います。

私見では、精神科臨床の場において、疾患モデルが有用な場合とスペクトラムモデルが有用な場合、どちらもあるように思います。統合失調症や躁うつ病は前者でしょう(もちろん統合失調スペクトラム症や双極スペクトラム症という考え方も出てきているが)。その一方で発達障害(自閉スペクトラム症⦅ASD⦆やADHD)は、まさしく後者でしょう。

人はみな、ASD傾向やADHD傾向を持っています。「男性はASD傾向であり、女性はADHD傾向である」という一般論?は大体合っているようにみえます。男性はこだわりが強く、コミュニケーションが苦手である。女性はこだわりは薄く、コミュニケーション能力が優れている。周りをよく確認するため、つねに気が散っている。じっとしていることが苦手、つねになにかしなければ落ち着かない。これはあくまでも一般論です。また男女に分類するのが、すでにLGBTQ+時代にそぐわないのは理解していますが、精神医学的に扱いが難しい領域のように思います。私はLGBTQ+をある程度認めていますが、職業的には男女の違いを重視しています。医学的には生物学的身体機能の違いは決して無視できません。あくまでも身体を基盤として、こころが生まれてくるわけですから。話を戻すと、あくまでも社会不適応になった場合にASDやADHDの診断が付くのであって、社会適応していれば、あくまでも「傾向」にすぎません。

愛着障害は微妙な立ち位置にあるといえるかもしれません。愛着障害は児童精神医学では診断名として使うようですが、最近注目されている「愛着障害」はおそらく診断名を指し示してはいないでしょう。正確には、愛着の形成ができなかった人、すなわち愛着形成不全を抱えている人を指しているように思います。神経症水準や境界例水準の病因として説明される際に「愛着障害」もしくは愛着形成不全が持ち出されるようになってきた、つまりグランドセオリーとしての「愛着の問題」に帰着させる動きともいえるでしょう。

それではなぜ、ほかの子を見て「あの子はASDだな」、「あの子はADHDだな」、「あの子は愛着の問題だろうな」と思ってしまうのか。まったくの私見ですが、まず子どもの振る舞いが単なる「未熟」とはいえない、なにか異質なものを感じたとき、その子どもにこころの発達の遅れがあるのではないかと疑うように思います。次に親の子どもへの考え方や態度に触れて、発達障害か「愛着障害」(正確には愛着形成不全)を見分けているように思います。

今回は断片的な愚考で恐縮ですが、「子どもの振る舞いでこころの発達の遅れを感じ、親の子どもに対する考え方や態度に愛情がみられなければ愛着形成不全」と考えているようだと、自分の思考を改めて整理してみました。

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